メッセージ

逆転満塁ホームラン

罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、 わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命 なのです。   ローマ信徒への手紙6:23


エッケホモ・アーチ

東京聖書学校吉川教会牧師 深谷春男

今日はホームページにいらしてくださり感謝します。皆様の生涯が今日のメッセージの題のように「逆転満塁ホームラン」のようになりますように。

実はしばらく前になりますが、2003年7月18日、米大リーグで活躍中のマリナーズのイチロー選手が対ロイヤルズ戦に「一番・右翼」で先発し、9回裏2アウト満塁から第9号の「逆転満塁ホームラン」を打ったというニュースを聞いたことがありました。「えー、うっそー」と言う思いでわたしはニュースを聞いていました。もうきっと負けるだろうと思われていたマリナーズが、9回の裏、ギリギリの土壇場で、粘りに粘ってランナーを出して、ツーアウトながら、満塁。さあ、ここで出てきた期待のヒーローイチローが、満堂の方々の声援を受けながら、なんと、ホームラン!試合は逆転勝利で終わりました。ニュースを聞きながら、わたしの心も日本晴れのさわやかな思いでしたが、それとともに、主イエス様の十字架と復活の出来事は、まさにイチローの打った逆転満塁ホームランを、歴史の中で、なして下さったのだと思いました。

【 聖書のテキストと概略 】

さて、掲げました聖書の箇所、ローマ信徒への手紙の6章23節は聖書の中でも最も有名な箇所であります。「罪の報酬は死、神の賜物は永遠の命」。この言葉ほど明瞭なメッセージはありません。
繰り返します。
罪の報酬は死であり、神の賜物は永遠の命なのです。
最近、教会の歴史をひも解きましたら、昭和のはじめのころのある年のホーリネスのリバイバルのころの5000人の天幕の聖会の正面に、「罪の価は死なり、神の賜物は永遠の命なり」と雄渾なる筆致で大書してあるものがありました。この言葉は、いつの時代でも、わたしどもの信仰の最終的な結論のような聖句と言って良いかと思います。
限られた時数の中ですから、今日はこの聖書の言葉の中から、二つのことを語りたいと思います。

【メッセージのポイント】

1)23 罪が支払う報酬は死です。(23a節)   ・・・ 罪の支払う報酬は 死!
 ここではローマ信徒への手紙を書いた使徒パウロは、ストレートに語っています。「罪の支払う報酬は死です」と。神様を知らず、罪の奴隷のような生涯の時には、自由勝手なものでした。でも、その自由勝手な生涯の実、結実は何だったのでしょうか?それは今では、本当に恥ずかしいもので、それらの行き着く終着点は「死」です!と結論付けています。「罪が支払う報酬は死です」。この場合の「死」は単に、肉体的な死というだけでなく、無意味さと反逆の意味を含んだ、滅びの世界を指しています。罪の奴隷として、罪に仕え、自己中心に歩んだ人生の究極の結実は、憎しみ、悲しみ、空虚さ、そして苦悩、嘆き、後悔、恐怖の死の世界、暗黒と絶望の世界だと言うのです。
皆様の中には「いや、わたしはまじめに生きてきた。罪などはない」と言われる方もおられるかも知れません。でもこころの内側を深く探ってゆくといろんな隠れた罪が人生のさまざまな場面に付着しているのに気づかれると思います。
 昔、有名な伝道者ムーディーが政府の要人に会うときに息子をつれて行くことになりました。急用ができて、息子に庭で待っていなさいと言うと、息子は砂場で遊んでいました。さあ、出かけようというときになって息子を呼ぶとその顔は泥だらけ。「そんな顔じゃ、偉い人の前に出られないよ。顔を洗っていらっしゃい」。すると息子は「お父さん、ぼくは気をつけて遊んでいたから汚れてないよ」と言い張るのです。困り果てた伝道者は考え込んでいると名案が浮かびました。「そうだ、鏡の前に立たせるんだ」。息子は自分の姿が映っている鏡を見て「ああ、 お父さんやっぱりぼくが汚れていたよ」と認めたといいます。
 わたしたちも「十戒という鏡」に自分の姿を映しだすと自分の罪が分かりだします。十戒は、以下のように覚えると覚えやすいことです。
1つ ひとりの神を拝せよ
2つ ふたたび、像を刻むな
3つ みだりに、御名(みな)を唱(との)うな
4つ 喜び、聖日守れ
5つ いつまでたっても父母を敬え
6つ むごい、殺人するな
7つ なんじ、姦淫するな
8つ やましい、盗みをするな
9つ 金輪際(こんりんざい)、偽証立つるな
10で 隣りを、むさぼるな
自分の生涯でも、これらの鏡に照らし出すと恥ずかしい限りです。
 わたしは18歳の頃に、美術系の予備校に通いながら、アルバイトをしながらの生活でした。はじめは新聞配達をしていたのですが、牛乳配達に変わりました。1968年、7月ー8月、新宿区下落合の牛乳屋でのバイトでした。自転車で朝3時半ごろから配達を始めるのですが、5時半ごろになると汗をかいてのどが渇くのです。全部配り終わる時間の6時半ごろは、真夏の朝はかなり疲れてしまいます。ある時どういうわけか配り終わったら、一本残ってしまいました。「おかしいな・・・?」思いましたが、「ま、いいか。プロレタリアートの僕が朝3時に起きて労働をしているんだ。配達の牛乳の一本ぐらい飲んだって、悪いわけじゃないよ・・」と自分を慰めて「ぐっ」と一本飲んでしまったのです。そのおいしいこと!おいしいこと!暑さと疲れがサーっと消えて行きました。悪いことは、一回では終わらないものです。真面目だったわたしですが、翌日からは冷凍庫から、牛乳の箱を自転車に積んで持ってゆくときに、一本余計に持ってゆくことにしました。朝の仕事の終わりに、いただく一本はいつもおいしかった。そして、数日すると、今度は、配達の半ばで一本、終わりに一本と二本づつ頂くことにしました。おやじさんが何も言わないのをいいことに、その次には、白い牛乳だけではおもしろくないと「森永パンピー」とか「フルーツサワー」だの、貧しい自分ではあまり買ったことのないものまで、持って行って、飲むことにしました。今考えると、店主の親父さんは、数人の配達員に託した本数や残った本数を記録しておくのは当然のことだろうに、幼いわたしは、まだわからないと思っていたのでした。このころのことを思い出すとわたしは、顔から火の出る思いがします。(一応、弁明しておきますが、この10年後、ある教会の集会で、このときの盗んで飲んだ牛乳の代金をおやじさんに返しに行きました。そのときはお店はコンビニエンスストアになっていた・・・。おやじさんは留守だったが、お店の人にお金に手紙を添えて手渡したら、その日の夜に「なつかしいね・・・。へー、牧師さんになったの・・・。すごいですね。お金頂きました。今度、遊びに来てください」と許していただき、親しく声をかけていただきました。良かったですね・・・ホッ・・・)でも、結局はそのお店もおやじさんとけんかをしてやめてしまいました。罪の報酬は怒り、憎しみ、魂のすさみ、霊的な死の世界ですね・・・。
 わたしにとって霊的な転機が訪れました。川崎の教会に行って洗礼を受けたNが牧師になるために教会に住み込んでいました。わたしが最初、彼を教会に導いたのですが、今度は逆転し、彼が、わたしに教会に出席するようにと、しきりに薦めました。わたしはあまり気が進まなかったのですが、Nに会うのと、礼拝後に教会の印刷機を借りて、「同級生新聞」を印刷したいということのために、土曜日に千鳥町の近くの兄貴にアパートに泊まり、日曜日には川崎の教会に出席しようと部屋を出ました。でも、教会に行くのがとても気が重かった。川崎駅で下車したが、どうも教会に行く気がしない。ぶらぶらと駅ビルの書店に行き、本を見ていました。当時、アルタイザー、ハミルトン著『神の死の神学』などが並んでいた時でした。「うちの牧師もこのぐらい、格調の高い、神学的な話しでもするなら聞いてもいいけど、もう、聞く前から分かっているんだよな。今日もきっと、十字架、罪の悔い改めだぞ、うんぬん・・・」と生意気なことをつぶやきながら、ぱらぱらと、本をめくっていました。11時半ごろ、とぼとぼと教会に向かって歩き出しました。教会の印刷機(当時は謄写版と呼んだ)を借りるのに、礼拝に顔も出さないわけに行くまいと思って、教会に11時40分頃に着くように、歩き出したのでした。歩きながらも、「教会の人たちは、何となく偽善的だよな・・・」と文句ばかりを並べて歩きました。教会に着くと玄関口で、同年の神学生の女の子が「まあ、深谷さん、よく来てくださったわね・・・」と声をかけてくださいました。でも、わたしは少し、視線を斜め上に向けて、彼女の言葉を無視しました。そして、礼拝堂の一番後ろに座ると、腕を組み、足を組み、会堂の中を冷たい視線で見回していました。牧師は何となく、わたしの態度に気が付いたのだと思います。説教ももう終わりに近かったのですが、このように語られました。「今日は聖日で、皆、神様の前にひれ伏し、主を礼拝して1週間を始めようとしている。しかし、そうでない者もいる。・・・」そして、牧師はわたしの方を見た(ように感じました)。わたしはカチンときて、「この牧師は僕にけんかを売っている!」と感じました。19歳の生意気なわたしは、「売られたけんかは買おうじゃないか!」と意気込んで、牧師をジーっとにらんでいました。牧師の説教はサムエル記下6章。「ダビデは王様なのに、神の箱の前では、子供のように踊った。これは救われたわたしたちの姿なのです。でも、ミカルというダビデの奥様はダビデのその姿を、冷たい視線で見たのです!今でも、冷たい視線で見る者もいます!」そう言って、この牧師は、わたしの方を見たように感じました。わたしの視線と牧師の視線がチカチカとぶつかり、一瞬の間ではあったが、わたしは火花が散るような緊張を感じました。説教が終わると、その教会は皆で一斉に感謝の応答の祈りをしました。わたしも同じように祈りの姿勢を取りました。しばらくすると、わたしの心のうちから声が聞こえてきたのです。これは主のみ声だったかどうかは知らない。その声はこのように語りました。「あなたは、ここにいる人々、牧師をはじめ、教会の人たちを偽善者というか。あるいは確かにそうかもしれない。人は皆、弱さを持っている。しかし、彼らを非難する資格はお前にあるのか?お前はこの一週間どのように過ごしたのか?お前のうちに罪はないのか?」 その声を聞いてから、わたしの脳裏には実に、一週間の自分の惨めな罪の姿が、ぐるぐると回りはじめました。そして、この一週間ばかりではない。いままでの、19年間の多くの罪と汚れが、走馬灯のように浮かんできました。「主よ、そうです。わたしには、彼らの偽善を責める資格などありません。このわたしが、一番の罪人です。ほかでもない、このわたしが一番の罪人です。おお、主よ、世界はすべて、すべて罪で満ちているではありませんか!わたしはどうしたらいいのか分かりません!」気が付くとわたしは泣いていました。涙がぽろぽろと頬を伝って落ちてくる。涙腺と鼻はつながっているのか、そのうちに鼻水も出てきた。そして「主よ!主よ!・・・」と言っていったのでよだれまで出てきて、この三つのものが床に滴り落ちました。わたしが泣いて祈っている姿に、いつもお世話してくださったO神学生が寄ってきて、やさしく「深谷君、よかったね。もう、神様は分からないなんて、言わないでしょう?」と語りかけてくださった。しかし、わたしは「そんな事言ったって、オレにはわかんねんだよう!」と言って30分位、泣き続けました。その間に皆、最後の賛美を歌い、献金をし、頌栄、祝祷と続いて帰って行きました。わたしはズーっと泣き続けました。わたしにとってはこの出来事がとても大きな意味を持ちました。今まで、あの人が悪い、この人が悪いと言っていたのに、決定的な批判の刃が、自分の方に向いたのでした。この時から、わたしの中にあった岩のような硬い自我が、内側で、がらがらと音を立てて崩れて行きました。
わたしたちの生涯が本当に変化するのは、批判の刃が自分に向いて、自分自身が一番の罪人であり、偽善者であり、どうしようもない存在であることが分かる時ではないでしょうか?

2)23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。 (23節)
 ・・・ 神の賜物は 永遠の命!
ここではパウロは、神に感謝をささげています。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです!」と。
1969年12月21日、わたしは日本基督教団練馬開進教会という教会で洗礼を受けました。当時、19才の青年でした。先ほども言いましたが、わたしはそのころは絵描きになろうと思って、東京芸術大学を目指して、美術の予備校、目白の「すいどーばた美術学園」に通っていました。当時は1970年直前で、日本でもベトナム戦争反対、安保反対の大嵐が吹いていた時です。19才のわたしは自分の生きる道を真剣に求めていたのでした。一時はヘルメットをかぶって、新左翼運動に加わったこともあります。山谷の中に入って行って、労働をしたこともありました。けれども、何をしても心の平安が得られませんでした。わたしのうちには深い罪意識があり、こころの最も深いところでは、罪の許しと平安を求めていたのだと思います。
洗礼を受ける日の朝、わたしは自分の魂に語りかけていました。「オレは今日、死ぬんだ、今日から新しい自分が生まれるんだ!覚悟はできているか?」と。クリスマス礼拝が始まった。牧師の説教が終わって、いよいよ、洗礼の時である。胸がどきどきしました。牧師に導かれるまま信仰の告白をし、その後洗礼を受けました。市川牧師が「深谷春男、われ汝に父と、子と、聖霊の名によってバプテスマを授ずく!」と宣言して、わたしの頭に水をかけられた。その水が襟首から背中に流れ、冷やりと感じた時に、「救いが来た!」と感じました。わたしはその時、感動を押さえることができずに、男泣きに泣きました。市川牧師が、「深谷くんは今、感動で泣いておりますが、主よ、この青年を祝し給え」と祈ってくださいました。
この日、わたしは夕方から行われるクリスマス祝会に出席するために残っていました。夕方のクリスマス祝会も大変喜びに満ちたものでした。キャンドルサービスがあって、出席した一同が、ある者は大きな声で賛美をし、ある者は一年の感謝をしました。その中で最年長の白石万亀子姉が「今日新しく生まれた深谷さんにみ言葉をプレゼントします。
『たといわれ、死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れじ、汝、われとともにいませばなり』・・・」
と暗唱してくださったのです。わたしはそれを聞いて、この聖句を一生の聖句としようと思いました。市川先生が「深谷くんも証しをしな」とおっしゃるので、自分が主イエス様を知るようになった中学生の頃から現在にいたるまで、かなり長いお証しをしました。最後に「昨日、月を見ていたら、イエス様がわたしを愛しているよ!って言ってくださってるようで、涙が止まりませんでした・・・」と言った時に、涙で声が詰まってしまいました。市川師が「そこまででいいでしょう・・・」と言われたが、先生の目にも涙が光っているように見えました。
クリスマス祝会を終えて、桜台駅から自分のアパートに帰るまで、わたしは、うれしくてうれしくて、心の喜びを押さえ切れませんでした。町を歩きながら、賛美したり、横に歩いたり、後ろ向きになったり、飛び跳ねたりして帰って行ったのです。夜風がわたしの首に巻き付いて来るような解放の喜びでした。自分の部屋に入って、油絵の具を紐で縛って押し入れに投げやり、「主よ、わたしは、あなたに献身し、牧師になります!」と祈りました。その時、20、30人の友人にはがきを書きました。「俺は今日、洗礼を受けて神の子となった。俺は罪が許され、永遠に生きることを信じる。お前も信じろ、このばか。」

車山という山があります。位置としては、本州または長野県のほぼ中央部で、日本海からも、太平洋からもおおよそ100kmという、「日本のへそ」といわれる山だそうです。海岸より遠く隔たっています。しかしその車山にいる一羽の小鳥の羽根から降ちた小さな水滴が、頂上の岩に落ちて二手に別れ、東に流れた水滴は幾多の水源と合流して、天竜川をなして太平洋に注ぐことになります。また、西側に流れた水滴は霧や雨水や湧き水と合流して信濃川を形成して日本海に注ぐことになります。まさに車山は日本海と太平洋の分水嶺となるのです。
 主イエス・キリストを信じて、信仰告白をなし、洗礼を受け、クリスチャンになるという小さな出発も、やがて、永遠の命という、大きな運命の結実へと向かっているのです。永遠の滅びと永遠の救い。それは大きな隔たりのある二つの人生の結末です。

アメリカ第22代大統領、クリーブランドは熱心なクリスチャンでした。しかし少年時代は仕方のない不良少年でした。母親は心痛のあまり自殺してしまいました。
 ある時、友達と二人で遊びに行こうとして教会の前を通りかかりました。そこに「罪の支払う報酬は死である」と聖書の言葉が書いてありました。それを見て、ふとクリーブランドは考えました。そして言いました。「君、ここに『罪の支払う報酬は死である』と書いてあるがそれは本当だ。現に僕のお母さんなどは、僕のでたらめな生活がもとで死んでしまったのだ。君、一度入って話を聞いてみようじゃないか」「バカを言え。ムリをして金をこしらえて来たのは、遊ぶためだ。こんなキリストの話なんかを聞くためじゃない。俺はイヤだ」二人は喧嘩になって、友達はクリーブランドに罵声を浴びせて行ってしまいました。しかしクリーブランドはその夜、教会でキリストのお話を聞いて深く信じ、クリスチャンになりました。それから全く人物が変わって高校から大学を出て弁護士となり、45才でニューヨーク州会議員、57才でアメリカ第22代大統領となり、更にもう一度、第24代大統領に当選したのです。
 その再選の日に、ある刑務所で一人の囚人の死刑が執行されようとしていました。「最後に言いたいことはないか」「今日当選した大統領は誰ですか」「号外を持ってきて見せてやろう」号外を見ると、この死刑囚は激しく泣き出しました。「彼は私の友達で、二人ともろくな事はやっていなかったのです。私もあの時教会に行っていたら、こんな事にはならなかったろうに」

今日は「逆転満塁ホームラン」というメッセージをさせていただきました。最後に、人生に逆転満塁ホームランを打った人物を紹介します。明治時代のキリスト者で、好地由太郎という人がいます。彼の生涯は「恩寵の生涯」という自叙伝で出版されています。彼は1800年(慶応元年)、千葉県の君津郡(現在の木更津市)の貧しい家庭に生まれ、14才の時に神田に奉公に出されました。18歳のときに日本橋に奉公先を変え、ついにそこでは女主人を殺害、金を奪い、証拠を消すために放火し、無期懲役の刑を受けました。彼はその獄中でも脱走を計画し、その度に逮捕され、少しも反省の色もありませんでした。母親に頼んで芝教会の牧師から差し入れていただきました。ところが、彼は教育を受けていないものですから字が読めないです。すぐに飽きてしまいました。ところが、ある日のこと、好地由太郎は不思議な夢をみました。天使のような輝いた顔の少年が現われて「この本を食べなさい。これは永遠の生命を与える神の道です。」と彼に告げたというのです。それから彼は、看守長から片仮名と平仮名を学び、聖書を一生懸命に読み始めました。イエス様の御言葉に触れ、彼は新しい人生を歩み始めたのです。一転して模範囚となった好地由太郎は、明治天皇の特別な恩赦により釈放されました。23年の獄中生活でした。監獄を出た好地由太郎は、やがて牧師になり、日本全国を回り、また、韓国や中国でも伝道活動を展開し、多くの魂をキリストに導く神の僕となったのです。

 愛する皆さん、キリスト教信仰は主イエスの十字架と復活を信じることです。そこでわたしどもの罪と死が解決されました。そしてこの小さなキリストを信じる心はみ言葉と聖霊の助けを得て、献身の生涯、義に仕える僕の生涯へと導かれ、永遠の命にいたるのであると言われております。十字架の贖いと共に復活の恵みに与り、聖霊の満たしを頂いて、永遠の命の祝福の中を歩むものとなりましょう。涙の谷のような人生で、自分の愚かさを呪い、この世の不条理を呪い、空しい死の世界から、神の子供として、感謝と喜びに生きる人生が始まるのです。主イエスを心にお迎えするとき、イチローの打った9回裏ツーアウトからの逆転満塁ホームランのような人生が始まるのです。永遠の天国を自分の魂のふるさととし、キリストの花嫁として歩みが始まるのですから。ハレルヤ!皆様の上に神様の祝福を祈ります。

【 祈 り 】

 天の父よ。 破れだらけの愚かな者ですが、今、あなたを受け入れ、あなたの備えられた永遠の命の道を歩みたいと願っています。主よ、わたしは弱く、鈍い者ですが、今、誰にも開いたことのないこころの扉を開きます。この冷たい、暗い心にいらしてくださり、あなたの愛で暖め、あなたの光で照らしてください。罪の支払う報酬が死であり、神の賜物は永遠の命であることを明確に信じる信仰を与えてください。
わたしたちのために、何よりも罪深いわたしのために十字架にかかり、よみがえり、天に昇り、再び来たり給うわれらの救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン


ガリラヤ湖上から

〔last update:2014/11/10〕


(C) 日本キリスト教団 ホーリネスの群